「日本語の作文技術」を読んだ。

『第一章から第四章まで読めば、それだけで確実に、文章はよくなる。』
解説の引用としてこの本の裏表紙にこう書かれているので、まず第一章から第四章まで読んだ。

第1章:なぜ作文技術か
その理由は、どんな文章でも一定の技術に従って修正することで、読み手にとってわかりやすい文章となるから。
なお、この本は小説などの文章ではなく、実用的な文章を書くことのみ扱う。実用的な文章の目的は、何か情報を読み手に伝えることである。よって実用的な文章を書く場合、読み手にとってわかりやすい(情報が伝わりやすい)文章を書くことを作者は目指すべきである。
ここで、どんな文章でも一定の技術(というよりもルール?)に従って書く事で、わかりやすい文章にすることができる。この章では、その具体例を示している。

第2章:修飾する側とされる側
わかりにくい文章を見ると、最も目につくのは修飾する言葉と修飾される言葉のつながりが明白でない場合である。
この章では、具体的に修飾する側とされる側のわかりづらい文を具体的に挙げている。また、それらの文を要素に分解し、化学の構造式のようにして修飾する側とされる側を示すことで、文のわかりづらさを指摘している。

第3章:修飾の順序
この章から、具体的な作文技術が示される。修飾する言葉と修飾される側の言葉を明確にする技術として、この章では以下のような技術を挙げている。

  • 節を先にし、句をあとにする。
  • 長い修飾語は前に、短い修飾語は後に。
  • 大状況から小状況へ、重大なものから重大でないものへ。
  • 親和度(なじみ)の強弱による配置転換

特に重要なのは1と2の技術で、1と2は同等の重要性がある。

第4章:句読点のうちかた
この章では句読点だけでなく、文章の中に洗われる符号についても言及している。

特に「」(カギカッコ)を引用文に対して用いるときの注意は参考になった。本文中には以下のような例がある。(ここでは『』にて引用をさせて頂く。)

『「隗より始め」る意味で自分自身のことを考えてみますと、』

この文では「隗より始めよ」という故事を引用しているが、「」(カギカッコ)は『隗より始め』で終わっている。正確に引用を行った上で文章を続けるために、『隗より始め』までしかカギカッコに含めていない。

読点は「思想の最小単位」を区切る意味があるとした上で、読点を打つにあたっていくつかの技術が紹介されている。

  • 1:重文の境目に。
  • 2:述語が先にくる倒置文の場合に。
  • 3:呼びかけ・応答・驚嘆などの言葉のあとに。
  • 4:挿入句の前後または前だけに。

ただし、これらの技術は2つの原則に集約できる。

  • 原則1:長い修飾語が2つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。
  • 原則2:原則的語順が逆順の場合に点をうつ。

まとめと感想:
いくつかの技術を用いることで、文章がわかりやすくなることを示した本だった。日常で無意識的に使っている技術もあるが、それを意識できたことで「なんとなく文章が読みづらい」という状況に今後当たったときに、この本で学んだ技術に当てはめ、文章を改善できるようになれるかも。
5章以降も読み進めます。

3 Responses to “読書ログ「日本語の作文技術」1章~4章 本田勝一”

  1. furusho Says:

    懐かしいなあ。高校の生徒会で学校関係の出版物色々書いてたときに読んだよ。

    ただ、そのときの感想(実感)は、テクニック云々じゃなくて結局

    読んでる文章の量×読んでる文章の質×書いてる文章の量

    で文章力は決まるということでした、、、

    プログラム書くのと一緒で、大事なのは引き出しの多さだからねえ。

  2. ryan5500 Says:

    furushoさん
    コメントありがとうございます!
    高校生のときに読まれていたとは、さすがですね。。

    基本的には、furushoさんの意見に賛成です。
    ただ、文章力はテクニック云々ではない、と言う点については立場が少し違います。

    僕は、わかりやすい文を書く能力としての文章力は、テクニックの積み重ねと考えています。より具体的には、
    引き出しにしまってあるテクニックの数 × 引き出しへのアクセス性
    で文章力は決まると考えています。

    ただ、文章力を獲得するためにfurushoさんのおっしゃった式があると思います。
    具体的には、
    読んでる文章の量・質は引き出しにしまうテクニックの数を増やすプロセス
    書いてる文章の量は引き出しへのアクセス性を上げるプロセス
    ではないかと思いました。

    そう考えると、この本は引き出しにしまうテクニックの数を増やしてくれるので、そのテクニックを実践し、引き出しへのアクセス性を上げることが今後の課題と思っています。

  3. furusho Says:

    吹奏楽部員が吹奏楽の本読むのと同じことなんだけどね。。。

    >読んでる文章の量・質は引き出しにしまうテクニックの数を増やすプロセス
    >書いてる文章の量は引き出しへのアクセス性を上げるプロセス

    基本はそうなんだけど、厄介なのは書かないとinputの方もうまくいかないって事やねん。そういう視点で読む癖がつかないからなんかな。

    より具体的には、

    読む⇒書く⇒読む⇒書く⇒・・・

    のサイクルを作らなくちゃいけなくて、

    読む⇒読む⇒書く⇒書く

    だったらイマイチなのよね。で、上のようなサイクルが回っていれば、テクニックは明確に意識しなくても、自然に、感覚として身につく気がするんです。どうせ最終的にどこで良しとするかは自分の感覚に頼るしかないんだし(この問題は結構大きい気がします)。

    あと、実際色々試してみるとわかるのだけど、そういうテクニックを活用しようとすると、ある程度の語彙が入るねん。同じ事を表現するにもパターンって数多くあるじゃない?きれいに読点打つことにしても、打ちやすい言い回しとそうでない言い回しがあるから、そもそも言い回しの引き出しが足りないとテクニックを十分に使うことさえできない。

    だから普段はあんまり気にせずに、ある程度サイクルを回した後で反省的にチェックするのが吉なんじゃないかなあ。


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