「頭を鍛えるディベート入門」という本を読んだ。
以下にメモを残す。

ディベートとは何か
一つの論題に対し、2チームの話し手が肯定する立場と否定する立場とに分かれ、自分たちの議論の優位性を聞き手に理解してもらうことを意図したうえで、客観的な証拠資料に基づいて議論をするコミュニケーション形態。

ディベート = 説得ではない。説得には論理や論拠に基づいている必要がない。例えば泣き落としは感情に基づく説得方法である。ディベートでは論理や論拠に基づいた説得をしなくてはならない。以下、説得と表記した場合は論理や論拠に基づいた説得のことを指す。

ディベートは「公の場で議論をする」というコミュニケーション形態である。その場合目的は2つあり、それは「情報を伝えること」と「説得すること」である。

ディベートを学習することの利点
ある論題に対し肯定と否定の両面から考えるようになり、複眼的な視点を持てる。

説得性のポイント
ディベートでは議論のやりとりにおいて、論理的説得性を競う。説得性のポイントとして、以下の6点を本書では挙げている。

  • 1:立場に一貫性がある
  • 2:主要な論点が明確である
  • 3:主要論点がそれぞれの立場の議論を網羅している
  • 4:主要な論点が論拠と証拠に裏付けられている
  • 5:相手の議論に対して正しく反論し、相手からの反論にたいして正しく反駁している
  • 6:相手からの質問に対して効果的に返答している

議論の要素
ディベートにおける議論の要素として、以下の5点がある。議論の要素を洗い出し、モデル化したものとして本書では「トールミン・モデル」が紹介されている。

  • 1:結論(ディベート中に出てくるある1つの議論の結論)
  • 2:証拠(結論を直接擁護するための資料。)
  • 3:論拠(証拠と結論をつなぐもの。ロジック?)
  • 4:限定詞(結論でのべることがどれくらい確実か示す。「絶対に」「たしかに」など。)
  • 5:保留条件(議論を否定してしまう可能性のある条件。)

まとめと感想
論理的な話し方や議論の進め方、複眼的な考え方を学ぶためにディベートが良いと聞き、この本を手に取った。
ディベート入門と書かれているだけに、ディベートについての誤解(ディベートは屁理屈のための技術だ、等)を解くことや、ディベートを活用できる具体例の紹介に多くのページが割かれているように思った。
議論の進め方をモデル化したものとして「トールミン・モデル」が紹介されていた。次は「トールミン・モデル」について学びたいと思う。

「日本語の作文技術」を読んだ。

『第一章から第四章まで読めば、それだけで確実に、文章はよくなる。』
解説の引用としてこの本の裏表紙にこう書かれているので、まず第一章から第四章まで読んだ。

第1章:なぜ作文技術か
その理由は、どんな文章でも一定の技術に従って修正することで、読み手にとってわかりやすい文章となるから。
なお、この本は小説などの文章ではなく、実用的な文章を書くことのみ扱う。実用的な文章の目的は、何か情報を読み手に伝えることである。よって実用的な文章を書く場合、読み手にとってわかりやすい(情報が伝わりやすい)文章を書くことを作者は目指すべきである。
ここで、どんな文章でも一定の技術(というよりもルール?)に従って書く事で、わかりやすい文章にすることができる。この章では、その具体例を示している。

第2章:修飾する側とされる側
わかりにくい文章を見ると、最も目につくのは修飾する言葉と修飾される言葉のつながりが明白でない場合である。
この章では、具体的に修飾する側とされる側のわかりづらい文を具体的に挙げている。また、それらの文を要素に分解し、化学の構造式のようにして修飾する側とされる側を示すことで、文のわかりづらさを指摘している。

第3章:修飾の順序
この章から、具体的な作文技術が示される。修飾する言葉と修飾される側の言葉を明確にする技術として、この章では以下のような技術を挙げている。

  • 節を先にし、句をあとにする。
  • 長い修飾語は前に、短い修飾語は後に。
  • 大状況から小状況へ、重大なものから重大でないものへ。
  • 親和度(なじみ)の強弱による配置転換

特に重要なのは1と2の技術で、1と2は同等の重要性がある。

第4章:句読点のうちかた
この章では句読点だけでなく、文章の中に洗われる符号についても言及している。

特に「」(カギカッコ)を引用文に対して用いるときの注意は参考になった。本文中には以下のような例がある。(ここでは『』にて引用をさせて頂く。)

『「隗より始め」る意味で自分自身のことを考えてみますと、』

この文では「隗より始めよ」という故事を引用しているが、「」(カギカッコ)は『隗より始め』で終わっている。正確に引用を行った上で文章を続けるために、『隗より始め』までしかカギカッコに含めていない。

読点は「思想の最小単位」を区切る意味があるとした上で、読点を打つにあたっていくつかの技術が紹介されている。

  • 1:重文の境目に。
  • 2:述語が先にくる倒置文の場合に。
  • 3:呼びかけ・応答・驚嘆などの言葉のあとに。
  • 4:挿入句の前後または前だけに。

ただし、これらの技術は2つの原則に集約できる。

  • 原則1:長い修飾語が2つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。
  • 原則2:原則的語順が逆順の場合に点をうつ。

まとめと感想:
いくつかの技術を用いることで、文章がわかりやすくなることを示した本だった。日常で無意識的に使っている技術もあるが、それを意識できたことで「なんとなく文章が読みづらい」という状況に今後当たったときに、この本で学んだ技術に当てはめ、文章を改善できるようになれるかも。
5章以降も読み進めます。

人間には言葉以上に意思を伝達する方法がないのか、研究例を調査していたところ、こんな記事をみつけた。

眉毛を使った非言語コミュニケーション(言葉以外のコミュニケーション)-A Global Player !

眉毛の上げ下げが、挨拶代わりとなるらしい。この記事の著者は、眉毛の上げ下げに関する本を読んだとある。そこで、どの本がそんなことを書いているのか調べた。おそらく以下の本を著者は読んだのではないかと考えている。

Amazon.co.jp: マンウォッチング〔文庫〕 (小学館文庫 モ 1-1): 関連商品を見る

この本の著者の書いた本に、ウーマンウォッチング、セックスウォッチングとあるのが気になる。。

「デザインのデザイン」原研哉著 を読んだ。

題名のとおり、様々なデザインプロダクトがどういう思想を背景とし、
どういう経緯で作られたかを書いた本だ。
すなわち、プロダクトをベースに内容が進むのだが、
プロダクトの背景にある思想が面白い。

面白かったポイント
1)「しらずしらずのうちに」起こる副作用を考えていること
2)「一般的な発想を捨て、対象に耳を澄ます」という考え方
3)テクノロジーとデザインに関する考え方

1)について。
デザインによって「しらずしらずのうちに」色々な副作用があることに関心を持った。
本のなかで建築家の坂茂(ばん しげる)がデザインしたトイレットペーパーが登場する。

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見てもらえばわかる通り、四角いトイレットペーパーだ。
だけど、四角くすることで一辺分ずつ紙をとることになり、
結果として紙の節約に繋がる。
丸いトイレットペーパーならばちょっと引っ張れば
芯が回りすぎて紙が出過ぎることになる。
出過ぎた紙を戻す人は(おそらく)おらず紙は無駄遣いされる。

気配りができているというか、使われる場面を良く見ているように感じる。
さらに、そこから問題点を見いだしている。
僕なら日常的すぎて見落としてしまうだろう。
もしくはそういう発想にならず、もっと一般的な発想になってしまうか。

2)について。
本の中で、デザインにおいて一般的な発想は捨てるべきだ、と述べた箇所がある。

深澤直人はこんなふうに言う。たとえば、傘立てをデザインするとした場合、
まずすぐに出てくるイメージとして「円筒形」のようなものがある。
しかし、深澤直人はそういう思想こそ排除すべきだと言うのだ。
玄関先の壁面から15センチメートルくらい離れたコンクリートの床面に、
幅8ミリメートル、深さ5ミリメートルくらいの溝を彫っておけばいい。
傘を置きたい人は先んじて、傘の先端を固定できるひっかかりを探す。
その行為に先回りして掘られた溝は、間違いなくそれを探す傘の先によって発見され、
結果として玄関先に傘は整然と並ぶことになる。この「溝」が傘立てである。
しかし使っている人はこれを傘立てとは気付かないかもしれない。
無意識の行為の結果として傘が整然と並ぶ。
それでデザインは完了していると深澤は言うのである。

知識で対応するのではなく、対象に耳を澄ますこと。
常にオーダーメイドで作る姿勢を持つということなのかと思う。

3)について。
簡単な(と著者が言っていた)デザインの歴史について初めに書かれており、
詳しく知らなったので勉強になった。
そのなかに、「テクノロジーとデザイン」と題された章があった。
ここでは、テクノロジーはもっとゆっくり、じっくりと進歩すべきだったと書かれている。
その理由として、

” コンピュータは「道具」ではなく『素材』である。
そう評するのはマサチューセッツ工科大学の前田ジョンである。
この表現は、与えられたソフトウェアを鵜呑みにしてコンピュータを使うのではなく、
数字によって構築されたこの新たな素材によってどのような知の世界が
開拓できるかを深く精密に考える必要があるという示唆を含んでいる。
これは尊敬すべき指摘であると僕は思う。ある素材が優れた素材となるためには、
まずその素材特性を極限まで純化するプロセスが必要である。
粘土は彫塑という造形を誘う無限の可塑性を秘めた素材だが、
その無限の可塑性はやはり粘土という素材の成熟と無関係ではないのだ。
この粘土の中に釘や金属片が潜んでいたとしたら,人はこれを思い切り
こねることができない。僕たちは現在、手を血だらけにして粘土をこねている。
そうした無理な状況から生まれてくるものが我々の生活に充足を生むとは考えにくい。”

この考え方は僕にはなかったので参考になった。
Ajaxなんてそうだろうけど、枯れた技術から面白いものが出来てくる、
というのは確かにあるな。

「フューチャリスト宣言」梅田望夫/茂木健一郎著 を読んだ。
以下感想を。

「そうだったのか!なるほど!」というたぐいの本ではない。
雑誌の対談を繋いで本にしました、という感じを受けた。
2人が話していることはぶっとんでいるんだけど
僕自身はなかなかそれを実感できないから
読後はぽかんとしてしまった。

でもその後だんだんと
「そうなのか。それならいっちょ本当かどうか(本当にそうなるかどうか)試してみるか」
という気にさせられた。
もしこの本を作った目的が「読んだ人が未来に期待を持つ」ということなら
まんまとはめられてしまったことになる。

ちょうど今、一つの専門をひたすら極めるという専門性の道を
外れようとしているところなので
現代世界の最高学府であるらしいネットで
これから進もうとしている新たな道について勉強しだしている。

勉強しだしてから感じたことだが
これまで私は、ネットをある事柄についての知識を探すツールと見ており
学ぶ場所というような視点はなかった。
情報を探して知る = 学ぶということになるかもしれないが。

しかし、学ぶ場所としてのネットという視点を持ってあたりをサーチすれば
ただ知らないことがらについての情報が置いてあるだけでなく
もっと直接的に身に入るリソースが、確かに転がっている。
そういう意味では、この本を読んでネットに対する見方が少し変わった。

そのことから、目の前にあるものを何と見、どう使うのかということにも
注意を払う必要があるなと感じた。

『アフォーダンス – 新しい認知の理論』佐々木正人著 を読んだ。
webデザインの本などでアフォーダンスという単語を見かけてはいたが、
理解していなかった。
この本を読んで、僕なりに理解したアフォーダンスについて書こうと思う。

アフォーダンスとは何か。
『アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである』
言い換えよう。
アフォーダンスは情報である。
アフォーダンスはモノが持つ物理的な性質ではなく、
そのモノを知覚した動物にとって、そのモノでどういうことができるかという情報である。
モノは全てアフォーダンスを持っているが、それは押し付けられるものではなく、
動物が見いだすものである。

詳しく読み解こう。

ここでいう環境は、身の回りにあるもの、と読み替えられる。
例えば、今僕がブログを書くのに利用しているMacBookや、
そこにあるみかん、向こうに積んである本などである。

ここでいう価値とは、「それを利用して何ができるか」である。
僕は環境に在るMacBookを知覚し、「プログラミングができる」という
アフォーダンスを見いだす。
他にも「音楽が聞ける」「友達とチャットができる」「ブログが書ける」など
様々なアフォーダンス(価値)をも見いだせる。

また僕は、環境に在るみかんを知覚して「風呂に入れてあったまれる」
「食べられる」とか、そういうアフォーダンスを見いだす。
これらは、僕がそのモノを利用して何ができるのかという例である。

ちなみに、モノから受けとるアフォーダンスは、知覚者によって違う。
知覚者のスキルによって、モノから受け取るアフォーダンスは違う。
例えば、すごいハッカーならMacBookを見て「OSが作れる」とか
「パーサを作ってモテれる」とか感じるかもしれない。
逆に、プログラミング出来ない人がMacBookを見たら「youtubeが見れる」とか、
プログラミング以外のPCの用途をアフォーダンスとして見いだすだろう。

と、僕が本を読んで理解したアフォーダンスの定義を述べてみた。
ツッコミは大歓迎です。むしろ間違ってるかもしれない。

ただ、概念についてはこれで理解できたとして、それを具体的にどう使うのか
という点は未だによくわからない。
何かをデザインするときに、様々な人が同一の目的のアフォーダンスを
見いだせるようデザインしましょう、という話なんだろうか。