「デザインのデザイン」原研哉
12月 16, 2007
「デザインのデザイン」原研哉著 を読んだ。
題名のとおり、様々なデザインプロダクトがどういう思想を背景とし、
どういう経緯で作られたかを書いた本だ。
すなわち、プロダクトをベースに内容が進むのだが、
プロダクトの背景にある思想が面白い。
面白かったポイント
1)「しらずしらずのうちに」起こる副作用を考えていること
2)「一般的な発想を捨て、対象に耳を澄ます」という考え方
3)テクノロジーとデザインに関する考え方
1)について。
デザインによって「しらずしらずのうちに」色々な副作用があることに関心を持った。
本のなかで建築家の坂茂(ばん しげる)がデザインしたトイレットペーパーが登場する。
見てもらえばわかる通り、四角いトイレットペーパーだ。
だけど、四角くすることで一辺分ずつ紙をとることになり、
結果として紙の節約に繋がる。
丸いトイレットペーパーならばちょっと引っ張れば
芯が回りすぎて紙が出過ぎることになる。
出過ぎた紙を戻す人は(おそらく)おらず紙は無駄遣いされる。
気配りができているというか、使われる場面を良く見ているように感じる。
さらに、そこから問題点を見いだしている。
僕なら日常的すぎて見落としてしまうだろう。
もしくはそういう発想にならず、もっと一般的な発想になってしまうか。
2)について。
本の中で、デザインにおいて一般的な発想は捨てるべきだ、と述べた箇所がある。
深澤直人はこんなふうに言う。たとえば、傘立てをデザインするとした場合、
まずすぐに出てくるイメージとして「円筒形」のようなものがある。
しかし、深澤直人はそういう思想こそ排除すべきだと言うのだ。
玄関先の壁面から15センチメートルくらい離れたコンクリートの床面に、
幅8ミリメートル、深さ5ミリメートルくらいの溝を彫っておけばいい。
傘を置きたい人は先んじて、傘の先端を固定できるひっかかりを探す。
その行為に先回りして掘られた溝は、間違いなくそれを探す傘の先によって発見され、
結果として玄関先に傘は整然と並ぶことになる。この「溝」が傘立てである。
しかし使っている人はこれを傘立てとは気付かないかもしれない。
無意識の行為の結果として傘が整然と並ぶ。
それでデザインは完了していると深澤は言うのである。
知識で対応するのではなく、対象に耳を澄ますこと。
常にオーダーメイドで作る姿勢を持つということなのかと思う。
3)について。
簡単な(と著者が言っていた)デザインの歴史について初めに書かれており、
詳しく知らなったので勉強になった。
そのなかに、「テクノロジーとデザイン」と題された章があった。
ここでは、テクノロジーはもっとゆっくり、じっくりと進歩すべきだったと書かれている。
その理由として、
” コンピュータは「道具」ではなく『素材』である。
そう評するのはマサチューセッツ工科大学の前田ジョンである。
この表現は、与えられたソフトウェアを鵜呑みにしてコンピュータを使うのではなく、
数字によって構築されたこの新たな素材によってどのような知の世界が
開拓できるかを深く精密に考える必要があるという示唆を含んでいる。
これは尊敬すべき指摘であると僕は思う。ある素材が優れた素材となるためには、
まずその素材特性を極限まで純化するプロセスが必要である。
粘土は彫塑という造形を誘う無限の可塑性を秘めた素材だが、
その無限の可塑性はやはり粘土という素材の成熟と無関係ではないのだ。
この粘土の中に釘や金属片が潜んでいたとしたら,人はこれを思い切り
こねることができない。僕たちは現在、手を血だらけにして粘土をこねている。
そうした無理な状況から生まれてくるものが我々の生活に充足を生むとは考えにくい。”
この考え方は僕にはなかったので参考になった。
Ajaxなんてそうだろうけど、枯れた技術から面白いものが出来てくる、
というのは確かにあるな。
「アフォーダンス – 新しい認知の理論」佐々木正人
12月 11, 2007
『アフォーダンス – 新しい認知の理論』佐々木正人著 を読んだ。
webデザインの本などでアフォーダンスという単語を見かけてはいたが、
理解していなかった。
この本を読んで、僕なりに理解したアフォーダンスについて書こうと思う。
アフォーダンスとは何か。
『アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである』
言い換えよう。
アフォーダンスは情報である。
アフォーダンスはモノが持つ物理的な性質ではなく、
そのモノを知覚した動物にとって、そのモノでどういうことができるかという情報である。
モノは全てアフォーダンスを持っているが、それは押し付けられるものではなく、
動物が見いだすものである。
詳しく読み解こう。
ここでいう環境は、身の回りにあるもの、と読み替えられる。
例えば、今僕がブログを書くのに利用しているMacBookや、
そこにあるみかん、向こうに積んである本などである。
ここでいう価値とは、「それを利用して何ができるか」である。
僕は環境に在るMacBookを知覚し、「プログラミングができる」という
アフォーダンスを見いだす。
他にも「音楽が聞ける」「友達とチャットができる」「ブログが書ける」など
様々なアフォーダンス(価値)をも見いだせる。
また僕は、環境に在るみかんを知覚して「風呂に入れてあったまれる」
「食べられる」とか、そういうアフォーダンスを見いだす。
これらは、僕がそのモノを利用して何ができるのかという例である。
ちなみに、モノから受けとるアフォーダンスは、知覚者によって違う。
知覚者のスキルによって、モノから受け取るアフォーダンスは違う。
例えば、すごいハッカーならMacBookを見て「OSが作れる」とか
「パーサを作ってモテれる」とか感じるかもしれない。
逆に、プログラミング出来ない人がMacBookを見たら「youtubeが見れる」とか、
プログラミング以外のPCの用途をアフォーダンスとして見いだすだろう。
と、僕が本を読んで理解したアフォーダンスの定義を述べてみた。
ツッコミは大歓迎です。むしろ間違ってるかもしれない。
ただ、概念についてはこれで理解できたとして、それを具体的にどう使うのか
という点は未だによくわからない。
何かをデザインするときに、様々な人が同一の目的のアフォーダンスを
見いだせるようデザインしましょう、という話なんだろうか。